矢貫隆

「力が及びませんで……」 救急医が発したその言葉を聞いたとたん、妻は「やだーッ」と叫んで床に泣き崩れ、娘は「お父さんッ、お父さんッ、起きてよッ、お父さんッ」と必死な声をあげながらストレッチャーに横たわる父親を揺り動かす。すると次の瞬間、泣くのを止めた妻が立ち上がり、困ったような表情を見せながら夫に語りかけるのだった。「お父さん、急にどうしちゃったんですか。起きてくださいよ。ほら、もう起きてくださいってば」 もう20年も前、取材中の救命救急センターで目撃した光景である。 妻と娘は、「ご主人が交通事故で救命救急センターに搬送されました」という電話で呼び出され、駆けつけた先で「死亡確認」を告げられたのだ。何がなんだかわからずに、傍目には奇異に映る行動をとるのは少しも不思議なことではないように思えた。交通事故の実態を取材するため長期間にわたって救命救急センターに泊り込んだあのころ、そこでボクは数えきれないほどのこうした場面に立ち会い、そのたびに思ったものだ。交通事故で身内を亡くした家族は一様に、にわかには事態を受け入れられないのだ、と。当然だろう。交通事故による死はあまりにも突然で、残された家族にしてみれば、一切の心の準備がないままに、いきなり事故死という現実を目の前に突きつけられるのだから。 ボクはそれを嫌というほど見続けてきた。 昨年一年間に交通事故で亡くなった人の数は4,611人。亡くなった4,611人には、それぞれの“夢”や“希望”や“計画”があったはずなのだ。4,611人も……。 この数を、もっともっと減らさなければ、と思う。